本書には、画面の縁ぎりぎりにイメージが収まったカラー写真が並んでいる。ストリートで学んだ基本である半ば無意識のフレーミングから生まれた写真群である。女性のしっかり組んだ手の写真の場合、わざとこの構図にしたわけではなく、バス停で突然この断片がフレームに入ってきて、素早くそれを中心に据えた。この写真はこうして生まれた。片方が素手でもう片方に手袋をはめていること、カメラにカラーフィルムが入っていたことは、ほとんど偶然だ。現像してから手袋が赤だったことを認識したくらいで、撮影したときは、組んだ手にレンズを近づけ、彼女の私的空間に侵入していくことの方がはるかに緊迫する体験だった。色彩は写真にさらなる声を与えた。写真はエネルギーを得たし、偶発的な社会的意味をもったと感じた。私はありとあらゆるものに惹きつけられつつ、街を歩き回った。視線が合えば、そのすべてが要素になった。鉄線、あるいは踏み台。今でもこの仕事に計画や理論はない。50年の間にただ発生して成長していった。本書の写真は11×14インチ、あるいは16×20インチのプリントにして、長期間続いた展覧会を経て、箱に収められていた。
私は高校生のとき、仕事として写真を撮り始めた。ほとんどは子どものポートレートで、彼らの自宅の裏庭で撮ったものだった。16×20インチのモノクロプリントをドライマウントしていた。彼らの保護者に見せるため、コンタクトシートも作成した。1960年代のことだ。これらはいつも単発の仕事だった。コダクロームもエクタクロームも知ってはいたが、それらのフィルムをプリントするのは極めて高価だった。私はもっぱらモノクロで、自分の暗室で現像していた。薬剤のトレイを温めたりしてカラー写真に取り組むようになったのは、べリカラーIIがコダックから発売された1970年代の初めだった。これはトライ–Xと同じスピードで、モノクロ写真と同じカメラ設備で撮影することができた。最初は、どちらのフィルムがカメラに入っているかを忘れるようにしていた。というのは、写真の力はフィルムによって左右されるわけではなかったからだ。これらの写真は、ウィルクスバリ(ペンシルヴェニア州の都市)の大通りや路地を歩いているとき、自分が見たものと自分との心理的な相互作用から刺激されたものだった。本書で最も早い時期の写真群は、これらのネガから焼いたものだ。1977年には、1年を通じてカラー写真に取り組んだ。このフィルムはジョージ・イーストマン・ハウスの事業の一環として、コダックが現像し、プルーフをプリントした。最後のイメージ群は、1987年に撮影したものだ。この年、私はフジ1600のカラーネガフィルムだけを使用していた。これは高速で撮れるから、素早く接近する私のストリート写真には最適だった。
>Mark Cohen
>SUPER LABO
SUPER LABO 2019年刊行 テキスト: 英語
サイズ: 縦246×横174mm ハードカバー 192ページ