「私が東京を集中的に写し歩いたのは、1970年から85年。日本が高度経済成長で急激に変貌した時期だった。古い家屋やビルが壊され、次々と近代的な高層ビルが建てられていった。現在も東京は膨張しつづけている。
もし「東京」を緩速度撮影で写したら面白い映画になるに違いないと思った。
東京タワーのテッペンに全自動のカメラをすえつけ、新宿や銀座などにレンズを向け、毎日、一時間に1枚シャッターを切り、10年間写しつづける。当時の映画カメラは、長尺フィルムで1秒間に24コマ写す撮影機だった。つまり1日は24時間だから、一日に24コマ、つまり一秒の映画が撮れる。単純計算すれば一ヶ月で30秒、10年間でほぼ1時間の映画が写せることになる。新しいビルが次々と建てられ、急速に変貌する東京の姿が超スローモーション撮影特有の効果で、まるで原生動物のように蠢めく「巨大な生命体」としての東京の本質が、リアルに写し出されるのではないか-----、そう思ったのである。
「巨大な生命体」という「東京」のイメージは単に文学的な想像で思いついたものではない。実際に東京を歩きまわって肌で感じた身体感覚からである。
東京には多様な時間が沈殿している。現在の東京。戦後ヤミ市時代の東京。江戸時代の東京-----。東京に住む人々の一般的な生活は朝起きてから会社に行って働く。仕事が終わってから、盛り場に寄って買い物をしたりバーで酒を飲んだりして家に帰る。
現在、東京で目にするのは、朝から夜までの人間の群れ。JR山手線や中央線、地下鉄や近郊私鉄の始発から終電までの時間の群衆である。ところが最終電車が出て、サラリーマンやOLや主婦や学生たちが帰り、バーや酒場で働いていた人たちも帰って、無人になった東京に「もう一つの東京」が出現する。
酒場や食堂から捨てられた残飯を漁って歩く人。ダンボールや空き缶などの売れるゴミを拾って集め歩く人。路上で寝込む人。なかには酒を飲んでいる人もいる。ホームレスの人たちが生き生きと蠢めきだす。まさに「巨大な生命体」としての東京が出現するのである。」
>内藤正敏
>SUPER LABO
SUPER LABO 2016年刊行 テキスト英語
サイズ 縦280×横216mm ソフトカバー 44ページ
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